私達の運命は、私の行いが創りだしたもの。

昨年、ゴルフ場に雷が落ちて、1メートルしか離れていない2人が、
1人は即死、もう1人は大丈夫だったということがありました。

なぜ、あの人がそんな目に。

そんな例は、枚挙に暇がありません。

高速道路のトンネルの、7秒で走り去ってしまう区間の天井が、
丁度、落盤してくる時に、その下を走っており、下敷きになった。

1000人に1人しか、かからないと言われる難病と診断された。

仕事で早く終わったので、飛行機を1本早い便に変更したところ、
その飛行機が墜落した。

「運命のいたずら」、と言う人もありますが、
「いたずら」程度で済まされないでしょう。

その原因は何だったのでしょうか。

眠い目をこすって、新年明ければ深夜、熱心に初詣に行き、
柏手を打って、賽銭を投げ、深々と頭を下げます。

交通事故にあわないようにと、バックミラーに神社の札を
ぶら下げています。

だから気が散って、前方不注意で事故にあうのかもしれませんが、
その札や、神社のステッカーを剥がすと、何か災難があるように思います。

高層ビルの屋上に、小さな鳥居があるのをよく見かけます。

種子島でロケットを発射したり、
もう少しで完成する北陸新幹線の工事が始まる時には、
神主が来て儀式が行われます。

家を建てる時には、地鎮祭が欠かせません。
やらないと、何かたたりが起きるように思います。

学問の神様と言われる菅原道真の神社に、多くの受験生がお参りします。

もし本当にご利益があるなら、
単語帳で英単語を覚える暇を惜しんで神社にお参りすれば、
よいようにも思いますが、神社を出た瞬間に、
参考書とにらめっこが始まるのはなぜでしょうか。

本当に神サマを信じているのでしょうか。

神サマを疑っているから、参考書を見るのでないですか?と
言われたらどう、反論するのでしょうか。

昨年ゴルフ場で片方を亡した2人が、
もし、2人とも神社に参っていた人だとすれば、
どう説明をつけるのでしょうか。

現代科学の粋を集めた、平成の世の中のはずなのに、
科学、医学、すべては、原因の追求を徹底して成り立つ学問なのに、
なぜか、私の運命については、わからない、と言う。
それは神が与えたものだという。

人間ほど、迷信深いものはない。

私達の運命は、決して、神が決めて与えたものでなく、
私の行いが創りだしたものなんだよと、ハッキリ
教えられたのが、お釈迦様でした。

あなたのつらい心が、ふっとラクになるお釈迦様の智恵。
http://atsushi-sasaki.com/book/applly_a.html

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