5分でコロリと変わる、人間の「愛憎」の実態。

「愛は惜しみなく与える」は、本当か?

仏教に、「愛憎」という言葉があります。
愛欲と憎しみのことです。
普通、愛欲と憎しみは、全く別ものと私達は思っています。

しかし、仏教では「愛憎一如」と言う言葉があります。
愛情と憎しみというものは、全く別ものでなく、
憎しみは愛情から生ずるのだと、仏教では説かれているのです。

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世間では、よく「愛は惜しみなく与える」と言われますが、
果たして本当でしょうか。

「愛」とは、一般的にはよいイメージの言葉として捉えられていますが、
仏教で「愛」とは「執着」のことですから、考えてみれば
愛情というものは、相手の思うままにしたいということです。
ですから、確かに「愛」は、執着なのです

憎しみは愛情から生ずる。だから、「愛憎」はひとつの如し。

その証拠に、自分に都合のよい相手である間は、その相手に惜しみない愛情を
注ぐことができますが、一旦、都合が悪くなると手のひら返したように、
憎しみが湧いてきます。

さっき、「かわいい」と思っていた相手が5分で「憎たらしい」となる。
昨日の「味方」も、利害関係が変われば、今日の「敵」となるでしょう。

それが愛欲の実態ですから、仏教また「愛憎違順」とも言われます。

自分にしたがう(順)者は、愛するけれども、
自分に逆らう(違)者には憎しみを覚えるのがわたしたちの本性です。

愛情違順することは 高峯岳山にことならず

愛してみたり、次の瞬間恨い憎しむ敵となったり、
そんな醜い「愛憎」が山ほど私達にはありますから、
「高峯岳山(高い山々)にことならず」なのです。

ですから、仏の眼からご覧になれば、「愛は惜しみなく奪う」のが、
実態なのです。

だから、確かに「愛憎一如」です。

そんな愛情と憎しみさかまく人生の難度海を、
明るく楽しく渡す大船あり、と説くのが仏教なのです。