100%確実な未来にくらい「無明」とは

「無明」とは、明かりが無く「暗い」こと

仏教で、「無明」と言われる言葉があります。
これは、「明かりが無い」ということですから、「暗い」ということです。

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「暗い」と言ってもいろいろあります。
電気が消えて暗いとか、あるいは太陽が沈んで暗いとか、
性格が暗いとか、表情が暗いとか色々ありますが、
ここでいわれているくらいと申しますのは、
はっきりしないということでです。

例えば東京に来たけれども東京タワーはどこにあるのか、
スカイツリーがどこにあるのか、東京駅がどこにあるのか、
わからないということでは、東京の地理にくらいということです。

Eメールの送り方が分からないとか、Line でメッセージが送れない
ということになれば、パソコンにくらいとか、
スマートフォンに暗いということですね。
最近の政治や経済の情勢に疎いという人は、政治や経済にくらい
ということになります。

ですから、暗いということははっきりしないということですが、
はっきりしないということは、不安です。

未来がハッキリせず、暗く不安な心。

最近もたくさん台風が通ってきますが、
台風の通路もですねどこになるのか、
北陸に抜けるのか東海方面に抜けるのかわからないという時は、
なんとなく皆不安なものです。

あるいは、日本は大変地震の多い国ですから
いつどこに地震がやってくるか分かりません。
日本は国土面積が世界の0.5%だそうなんですが、
何と大陸プレートの継ぎ目が、四つも日本の上で交差しているそうです。
そのため、世界の大地震の20%は日本で起きることになっているそうです。
まさに地震の上で暮らしているようなもの。

時限爆弾は、外だけでありません。
私たちの、私たちの脳の血管は約0.3 mm だそうです。
その0.3ミリがプチっと切れたら大変です。
脳梗塞とか、脳卒中となり後遺症が残ります。

『歎異鈔』には、「火宅無常の世界」という言葉があります。
「火宅」とは、不安のこと。
火のついた家、ということですが、
隣の家から火が燃え移ったのに、逃げないでおれるという人はありません。
今から風呂入ろうと思ってすっ裸になっていても、すぐに服着て逃げなければなりません。
はっきりしないということは、不安です。

それは、私達が、いつ何が起こるか分からない、
「無常の世界」に住まいしているからだ、ということなのですが、
中でも最大の問題は、私たちの100%確実な未来がはっきりしないことです。

「死んだらどうなるか」以上の問題は無い

火事がやってくると大変ですから、みな火災保険に入ります。
ところが、火事になって家は丸焼け、でも主人は助かった、
となれば「よかったね」となります。
逆に、ボヤで済んだけども、主人は一酸化炭素中毒で死んだ、と
なれば大変ですから、火事よりも死ぬ事のほうが、大変だということです。

あるいは、交通事故が怖いということで、自動車も保険に入ります。
しかし、事故に遭って車はぺちゃんこ、
だけど主人は助かった、となれば、「よかったね」となりますが、
車は軽傷、しかし運転手は打ち所が悪くて死んだ、となれば、
「なんとひどい事故だったんだろ」ということになるのです。

ですから、火事よりも事故事故よりも恐ろしいのが、わたくしたちが死ぬことなのです。
しかも、火事に遭わなくても、事故に遭わなくても、死なない人は一人もありません

「無明」とは、
「死んだらどうなるか分からない心」のことなのです。
このくらい心に気づくことが、仏教の出発点だとも言われています。