「慧日」~知恵の太陽~とは、どんなことか?

「智恵」のある人とは、どんな人か

仏教では「慧日(えにち)」という言葉があります。
「慧日」とは、知恵の太陽ということです。

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世間では、囲碁や将棋の知恵のある人といえば、
何十手て先も見通して、妙手を打つことができる人。

あるいは、政治は経済の智恵がある人といえば、
評論家やテレビのコメンテーターなどが、
最近の日本の将来を見通して、
しっかりと予測を立てることができる人。

世間で知恵のある人といえば、そんなものでしょう。

では、仏教で知恵があるとはどんなことなのか。

それ、八万の法蔵を知るというも
後世を知らざる人を愚者とす、
たとい一文不知の尼入道なりというとも
後世を知るを智者とすと言えり。 (蓮如上人『御文章』)

八万の法蔵を知る「愚者」と、字のタテヨコもわからぬ「愚者」とは

「八万の法蔵」とは、釈迦が、35歳で仏の悟りを開いてから、
80歳で亡くなるまでに説かれたすべての経典のこと。
七千余巻の一切経のことです。
これを八万四千の法門ともいいます。

「八万の法蔵を知る」、一切経のどこに何が書かれているか
何でも知っている人でも、ということです。
今日で言えば百科事典を丸暗記してるような大学者のこと。

ところが、そんな人の中にも「愚者」がいると言われております。

逆に、「一文不知の尼入道」というのは、字の縦横のわからないような人の事ですが、
そんな人の中にも「智者」がいると言われているのが、この言葉です。

では、仏教で智恵のある人、ない人の分かれ目はどこでするのか。
それは、「後世を知る」か否かだと言われています。

「後世」を知る人こそ「智者」であると説く仏教

「後世」とは、死ねば「後世」です。
私たちの100%確実な未来がはっきりしているかどうか、
これが仏教で言われる、智者か愚者かの分かれ目だと言うのです。

わたくしたちの、100%確実な未来がはっきりしていないとすれば大変不安です。
飛行機に乗って、機内放送がかかり、
「当機は、ただいま太平洋上を航行中であります。
ところが、燃料はあと5時間しかありません。
5時間たったら私たちは、残念なことに墜落してしまいます。
まあ、しかし5時間は飛んでいることができますから、あと5時間、
墜落までの間せっかくですから、最後の空の旅をしっかりとお楽しみください・・・
今からフライトアテンダントが皆さんのお席に伺います。
フィッシュでもチキンでも、冥土の土産にたくさん食べて死んでいってくださいね」

こんなことでは、機内は大変な騒ぎです。
飛行機で言えば100%間違いない行き先がはっきりしないで飛ぶほど、
愚かなことはありません。

その100%私たちの確実な行き先のわからない心。
これをぶち破って日本晴れの心にする力を仏教では「慧日」
智恵の太陽であると言われているのです