ひとつひとつ誠心誠意対応してゆく以外に無いのだ。

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もしあなたがこんな疑問を抱えていれば・・・

どうしたら、自己重要感が高まるだろうか?
という質問を時々、受けることがある。

もしあなたもそう思われることがあったとしたら、
今日の話は参考になるかもしれないから、ぜひ読んで見ていただきたい。

形を変えてこれは、出てくる。

●いろいろやっている割に、どうもいま一つ、
自分はうまくいっていないような気がするのだが・・・・

●どうもいま一つ元気が出ない。やる気が起きない。

 いわば、やる気無し症候群というか、そういったたぐいのものだろう。

そんな時どうしたらよいか?というと、
トイレのスリッパを並べ直すところから
始めたらよい、というようなアドバイスを耳にすることがあるかもしれない。

なぜだろう?

やる気が起きない、どうもいま一つ、元気が出ない、
というのは、心の状態なのだが、それは、「結果」であるということ。

つまり、そういう結果が出るような原因があったのだ。

待っていて自然になるのではない。元気になれる「原因」が必要。

それが何かは分からないが、
逆に言えば、やる気が起きる、元気な自分になるのも「結果」の1つだから、
そうなる原因をつくればよい、ということなのだ。

つまり、元気になるまで、やる気が起きるまで待とうと思っても、
何も起きないから、そこで注意が必要なのだ。

もしあなたが、そのアドバイスに従って
トイレのスリッパを整えてみたら、どうなるだろうか。

たぶん、ほとんど変わらないだろうが、
もしかしたら、整ったスリッパを見て、あ、気持ちいい、と思うかもしれないし、
これは今後の自分の生活に取り入れたらいいな、と思うかもしれない。

そう思ったとすれば、自分の心に起こる「変化」だ。
つまり、「結果」が起きたわけだ。

そうすれば、じゃあ今度は食堂のテーブル、
少し片付けてみようか?

あ、そういえば、あの仕事、
どうやって今度は取り組んでみようか?

そんなふうに、少しずつ気が向かなかったものにも
目が向くことがある。

中でも、仏教で「施し」の気持ちは、
自分を元気にさせてくれる元だと言われる。

もし、多くの人から大事にされたかったら・・・

愛されたかったら愛しなさい。
全人類を愛せば、全人類から愛される。

あなたが愛する人が増えれば増えるほど、
多くの人から愛される。
すなわち、必然的に自己重要感が高まることになる。

それが、仏教の因果の道理なのだ。

そんなことできるわけがない、と
きっとあなたも思うだろう。

しかし、こう考えてみたらどうだろう。

川の水をいっきに飲み干すことができなくとも
コップ一杯の水なら飲むことができるように、
目の前のすべての問題に対処することはできなくとも、
小さな1つの問題ならば、対処できるだろう。

要は、1つ1つ誠心誠意対応してゆく以外に無いのだ。

そう思いたくないから、
何か近道があるように思っている。

そうではない。

その小さな1つの解決が、次の中くらいの解決を生む元になる。

それが、お釈迦さまの説かれた因果の道理だ。
間違い無いこと。

千里の道も一歩から。
遥かなる道を行くべき時の、大事な心がけ。