どんなに若くあっても、必ず老いてゆく。 逃れられない現実。

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たとえ天人であっても、逃れられない5つの苦しみ

仏教で説かれる世界の中に、天上界と言われる世界がある。
いわゆる、天人の世界である。

天人の仕事は何か?

羽衣を着て、ぽろろん、ぽろろん、と毎日竪琴を奏でながら、
舞を舞っている。
さしづめそんな感じだろう。

ぼくらのように、毎日通勤電車に揺られたり、
取引先との人間関係に神経をすり減らしたり、
なんてことは、無いはずだ。

しかし、そんな天人といえど、彼女らの住まいする天上界は
仏教で教えられる六道(迷い苦しみの6つの世界)の1つだから、
彼女らにも苦しみがあるというのだ。

それが実に興味深いので、その話を今日はシェアしたい。

天人には寿命があるので、
その寿命を全うする時期に近づくと、いろいろな兆候があるらしい。

冠の花がしおれてくるとか、
衣服が汚れてくるとか、
ワキが匂うとか。
(ちょっと表現がえげつなかった。失礼・・・汗)

こういうようなものが5つあるから、天人の五衰と言うようだ。

それらは、本当にたいしたことないことなのか?

え、そんなのたいしたことないじゃん?
って思ったあなた。
どうやら、そうでもないらしいのだ。

ちなみに、天人の寿命はものすごく長い。
人間の50年を1日1夜として、50年・・・(?)
などというから、ものすごい長さだ。

しかし、ハッキリしているのは、
それは永遠とはあきらかに違うから、必ず終りがあるということ。

そんな彼女らが寿命の近づくときに味わう五衰
(冠の花がしおれたり、天人の衣服が汚れたり・・・eteの5つ)
の苦しみというのは、地獄の苦よりもヒドいと説かれる。

これは、一言で言えば、衰える苦しみが、いかにひどいかといことだろう。

毎日難なく歩くことができたのが、一苦労になる。
目も見えなくなってくる。記憶もおぼろになってくる。
だんだん手足に力も入らなくなってくる・・・・

どんな人にも必ずひたひたとやってくる。それが、「老い」の苦しみ。

自分のことで恐縮なのだが、
学生時代に過ごした町へ、10年ぶりに行く機会があった。

その時、線路沿いの階段を降りたところにある弁当屋は、
18で始めてそこへ行った日、ぼくの大好物である唐揚げ弁当を買った店だ。
そこのおっちゃんは、まだ元気だった。

あの日のことが懐かしくなって、10年前と同じ唐揚げ弁当を買ってみた。

見た目は大きいのに、衣がぶ厚くて、
肉が少ないとがっかりしてしまうのだが、ここの唐揚げはそうではない。

岩を思わせるゴロゴロした唐揚げが5つか6つ、
弁当の容器の中から、ふたを押し上げている。
その有様は、まさに肉のかたまりそのもの。

そしてこれまた、ギュッと押しつけられたごはんが、
ふたの下から顔を見せている。

あつあつの弁当のふたを開くと、「そうそうこれだよ、これ」と思いながら、
まず、唐揚げに食らいつく。

しかし、・・・・固い。
おかしい。アゴが弱くなったのだろうか。

そして、量が多い。半分で十分だ。

しかも、このゴハンはいくらなんでも多すぎだろう。

あれ? そもそもこんなにボリュームがあっただろうか?

そう、学生街の弁当屋の唐揚げ弁当は、
アメフトとかラグビー部たちの腹をも満たすため、ものすごいボリュームなのだ。

何しろぼくが高校を卒業したての時分、
それにときめていたあの日は、もう10年以上も前なのだ。

なにせ、アラサーを自覚せねば成らぬ時期に入っていた。
いわゆる、みそじーず、の仲間入りである。

食欲にも衰えるということがあるんだ、ということを、体験を通して知った出来事。

まあ、いいや。
昔から燃費が悪いと言われて久しいから。
少量のご飯で満足できるようになれば、コスパもいいしね。

気を取り直して、駅へ向かう。

線路沿いの道を駅に向かっていると、
乗りたい方面へ向かう電車がすっと駅へ入ってゆく。

そうだ。学生時代、いつもこんな時は、
ダッシュで駅の階段を駆け上がり、
滑り込みセーフで電車に乗ることができた。

よし、っと思って階段を駆け上がってみると、
7割くらいまでは軽く上れたが、
そこらへんで少し様子がおかしい。

息は切れるし、足は痛い。
おかしい。こんなはずじゃなかったはずだ・・・汗

ダメだ。もう、この電車はアキラメよう・・・

そのとき始めて意識したのが、釈迦の説いた四苦八苦の1つ。
そう、「老苦」という言葉だった。

あなたにもこんな経験無いだろうか?

どんなに若くあっても、必ず老いてゆく。
逃れられない現実。

どんな人にも逃れられない、お釈迦さまはこの現実を直視された。

老病死から逃れられない現実の矛盾を直感されたお釈迦様さまは、
出家し、本当の幸福を求める覚悟をされたのだった。

天人の苦しみは、決して他人ごとでない。
しかも皮肉なことに、今が恵まれている人ほど、それはひどいのだ。

決して、無視できる問題で、それはない。

 
PS
あ、ちなみに、それからというもの体力の重要性を実感したため、
もちろんそれなりの努力はしていますよ(笑)

しかも、これさえ、もう10年前の思い出になってしまった^^;