その時、思わず涙せずにおれなかった。
知り合いの方で、認知症のお母さんのお世話をされている方、
何人もおられます。
本当に毎日苦労されていて、聞く話、聞く話、涙せずにおれない。
その中に、特に忘れられない話があって、
今日はそれをシェアしたい。
いつものように、お母さんを含め家族で、食卓を囲んでの夕食。
皿に手をつけようとすると、
「ダメ! それは食べちゃダメ!」
と母が言う。
「これはね。あの子の分だから、食べちゃダメ」
「え? だからね、お母さん。オレはお母さんの子供なんだよ」
そのやりとりを見ている食卓を囲む家族も箸が止まる。
「・・・あの子は、ねえ。これが小さい頃から、本当に大好きでね。
いつもとってもいい笑顔でこれを食べるのよ。
だから、これは、あの子にとっておいてあげるの。
これは食べちゃダメ。残しておいてあげなきゃ」
そう話す母は、本当に嬉しそうな笑顔だった。。。
聞く私の頬にも熱いものが伝わってゆく。
そんな話だったと思う。
たとえわが子の、顔は忘れても、深い愛情までを忘れていなかった。
海の男達もきっと涙したに違いない。捕鯨心得帳に残された教訓。
江戸時代の捕鯨心得帳によると、
鯨を捕るにはまず、子鯨を討てという。
褌ひとつで海の男たちが、一歩間違えば死ぬ危険を冒し、懸命に鯨を捕る。
もりで刺されて命を落としたくないのは鯨も同じから、必死で逃げ回る。
だから子鯨を討てば体も小さく、比較的、討ちやすい、というだけの
理由では無いらしい。
親鯨を討つと、逃げた子は戻ってこないが、
子鯨を討つと、親は一度逃げても必ず戻ってくる。
たとえ子鯨が死んでいても、かならずそばに寄り添いに戻ってくる。
そして、その母鯨も仕留めることができるというのだ。
命を冒してまでも、子を護る親の愛情に海の男達は涙したのでないか。
そんなことを思う、捕鯨心得の教訓だ。
釈迦が親の恩を、つぶさに説かれた秘密とは。
我、この母によらねば育てられず。
お釈迦さまは、親の大恩を10に分けて、つぶさに説かれた。
親が子を死ぬまで想いつづけるのは、究竟憐愍(くきょうれんみん)の恩。
何を忘れても、子への愛情は忘れない。
忘れてはならない、と思う。
しかし・・・
なかなか親の恩とは、感じられないものだ。
もしかしたらこれをお読みのあなたも、
「そうは言っても・・・」という、
何か、煮え切らない思いではなかろうか。
では、なぜ釈迦はそんな親の恩をつぶさに説かれたのか?
それは、その恩が、ハッキリ知らされる時があるからだ。
その道を、釈迦は明快に説いている。