自分がどんなに辛くとも、まず目の前の相手を思う。 自利利他の精神こそ、仏教の真髄。

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東京出身なのに、東京タワーにも登ったことが無いし、
東京ディズニーランドへも大人になるまで行ったことが無かった。

東京タワーはアルバイトで下を通った瞬間が最接近(笑)

え、スカイツリーですか?
・・・もちろんまだです。(汗)

それで、大人になってディズニーワールドを知って驚いたこと。

大人になって初めて、ディズニーランドに感動した話。

失礼ながら、正直行く前は、
どうせ子供だましのミッキーの世界なのかな、と思っていた。

ところが全く違うのだ。

キャストはみんな満面の笑顔だし、何しろ園内がすごくきれい。
世界観は徹底していて、あそこにボロが見える、みたいなことが本当に無い。

汽車ぽっぽの車掌さんが、こぼれそうな笑顔で、
ものすごい一生懸命、僕らに手を振ってくれるディズニー魂には正直、感動した。

そして閉園間際、客が出たあと夜通し整備をするはずだから、
早く片付けも始めたいだろうに、余韻を楽しんでゆっくり出てゆくぼくらを、
これまた時計も見ずに、すごく一生懸命手を振って見送るのだ。

正直頭が下がる思いだった。
昨日のことのように思い出す、10年以上前の思い出。

予想以上だった。
というか、予想を見事裏切ってくれた。

仏教精神とは、「布施の精神」。

よく、仏教精神とは何か?
と聞かれる。
仏教精神とは「布施の精神」です。

お釈迦様が托鉢(家々を回り、食物などの布施を受ける行)に歩かれた時、
左右の分かれ道にさしかかられた。

左へ行けば富める村。右へ行けば貧しい村。

そこでお釈迦さまは、お弟子の制止も聞かれず、
今日明日の食にも事欠く、食うや食わずの貧しい村へと赴かれた。

そしてわずかな布施を受けられしばらく滞在なされて、説法されたと伝えられる。

なぜ、お釈迦さまは富める町ではなく、貧しい村へと赴かれたか?

そこに、托鉢の精神仏教精神がある。

今貧しいとうことは、これまで自分に富をもたらす因(行い)が私に無かったのだ。
だから、少しでもその因(行い)をすれば、今より恵まれる。
その縁を、チャンスを、与えようとお釈迦さまは思われたのだ。
それ以外に、托鉢の目的は無い。

自分がどんなに辛くとも、まず目の前の相手を思う。
自利利他の精神(布施の精神)こそ、仏教の真髄。