やがて必ず崩れてゆくのが本当なのに、 どうして心の底から安心ができるだろうか?

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今日は何で自分が仏教に心惹かれたか? について。

お釈迦さまがすべてを捨てて城を出られた。誰も知らなかったその理由。

実は、4月8日はお釈迦さまの誕生日だ。
今でも、甘茶をお釈迦さまの像にかけたりして
祝う習慣も残っているらしい。

そんなお釈迦さまは、
国王の太子として生まれられたから、
何不自由の無い生活をしておられた。

もちろん、古代のインドだから、
エアコンもスマホもないから、当然ぼくらの得ている
便利さとは、全然違うのだけれども、
当時の人達が受けられる中でも
最も高いレベルの幸せを得ていたはずだ。

そんなお釈迦さまが、その生活の一切を捨てて、単身、出家された。

城中が大騒ぎになった。

何しろ、29才2月8日、
夜中、ひっそり城を抜け出されたのだ。

そんなお釈迦さまの胸の内は、誰にも分からなかった。

どんな幸せに恵まれていても
やがて必ず裏切られる時がやってくる・・・

そんな幸せに、心からの安心も満足も無いでは無いか。

「まさか」と思うことが、いとも簡単に現実になる、リアルな日常。

実は、父は今でも右足が不自由です。
ぼくが高校の時に、右下半身に血液を送る脊髄の血管に
障害がおきて、突然右下半身が動かなくなってしまったのだ。

家族で一番健康で、
まさか大病などするまいと思っていた父が、
突然歩くことさえできなくなってしまった。

前日まで何ともなかったのに。

仏教では、諸行無常と言われる。
どんな幸せもある日突然、
脆くも崩れてしまう現実。

お釈迦さまはそれを、幸せの中に直感されたのだろう。

正直ぼくは、このことがすごくそのとおりだと感じた。

やがて必ず崩れてゆくのが本当なのに、
どうして心の底から安心ができるだろうか?

ぼくが仏教聞こうと思ったのは、
その時、モヤモヤしていたことが、
このことだ、と直感したから。

もしかしたら仏教はその悩みに答えてくれるのかもしれない、と。

あの時出会えて本当によかった。

果たしてお釈迦さまは、35才12月8日に仏の悟りを開かれて、
80才2月15日に亡くなられるまで、
どんな人も本当の幸せになる道1つ説かれた。

その教えが、仏教だ。
これだ、と思っあの時からはや20年。
あのとき出会えて、本当によかったと今でも思っている。