自己を知ることは、本当の幸せになる第一歩であり、総てである。

「禅」とは、心を鎮めること。

仏教というと、どんなイメージがありますか、と時々聞いてみるのですが、
墓とか葬式とかと答える人は、最近は、
思ったより少なくなってきたように感じます。

 

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仏教の講師をしているぼくとしては、嬉しいのか、
そうでもないのかよくわからないのですが、
最近多い答えは、座禅、写経、瞑想、あたりだと思います。

これらに共通する点は何か?

座禅の「禅」とは、心を鎮めること。
お釈迦様は心を鎮めて静かに振り返りなさい、
それは素晴らしいことなんだよと、「禅定」を勧められました。

今日の言葉で言えば「反省」、でしょう。

みんな本当の自分を見失ってしまっている。

他人の評価に依存して、本当の自分を見失ってしまっている。

「本当の自分」は、たとえ自分の探しの旅に出ても見つからない。

だから、どこか遠くに行くわけではないのだけれけど、
いわば、静かに自己と向き合って「プチ・自分探し」をするのが、
座禅、写経、瞑想なのかな、と思います。

本当の私の姿を教えたのが仏教だ。

だけど実は、死ぬまで取れない色めがねをぼくらはかけて、自分を見るから、
どうしても自分の姿は正しく見れない。

だから、お釈迦様は、「仏教は法鏡なり」と言い遺されて、
本当の私の姿を教えたのが仏教だと教えられたのだ。

なぜか。
それが、本当の幸せになる第一歩であり、総てだから。