何でも話せる親友といっても・・・

ヤマアラシのジレンマと言われるものがあります。
離れては寂しく、近づきあっては互いに傷つけあう。
人間関係の微妙さを言ったものでしょう。

山の孤独よりも、都会の孤独がより深刻であると
言った人がありました。
山の孤独は、人が多くなれば癒されるのではないか、という
希望もまだあります。
しかし、都会の孤独は溢れるほどの人の中で感じる孤独です。
数百人、時に数千人が、同時にスクランブル交差点を
渡っても、互いにどこの誰かも知らず、ひたすら行き交ってゆくのです。

お釈迦様は、
「独生独死独去独来」と言われました。
生まれて来る時も独りならば、死んでゆく時も独り。
来る時も独りならば、去る時も独りです。

徹底した孤独の中を生きているのが私達だと説かれました。

多くの人は沢山の友達、同僚、家族、友人に囲まれて生きているでしょう。
それら、肉体上の連れはあっても、
魂の連れはないことを、お釈迦様は説かれました。

何でも話せる親友といっても、
話せる範囲で何でも話せるのであって、
人はみな、誰にも言えない秘密の蔵を持っている。

そんな私達が、心底から救われるのは、
その秘密の蔵を全部見てとってくださり、
そのまんま、認めてくださった時でしょう。

ここまでは言えるけれども、ここから先を行ったら、
みな離れていく。
自分の心の中を、今からテレビにうつして皆さんに
見て頂くとなったら、どうだろう。
背筋が寒くなります。

なぜ、人は孤独なのか。

それは、人がみな、各自の業界(行いの作り出した世界)に
生きているからだと言われます。

あなたのつらい心が、ふっとラクになるお釈迦様の智恵。
http://atsushi-sasaki.com/book/applly_a.html

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