なぜ、仏教で「人生」を「難度の海」と、いわれるのか。

しばらくぶりの更新です。

死んでいた訳ではありません(笑)

なかなか時間がとれずにおりましたが、普段お話していることを少しでもシェアしてゆきたいと思っています。

人生は、「難度の海」と説く仏教。

仏教とは一言で、何を言われたものかと、聞かれたならば、
「難度の海を度する大船」と説かれています。

私達は、ひとりひとり、生まれたと同時に、
この「難度の海」に放り込まれるのだ、と言われます。

 

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否応無しに、泳がなければ沈むだけ、ですから、
私たちは、泳がなければなりません。

 ここで、「難度の海」と言われているのは、
苦しみ、悩みの絶えない人生のことを、「難度の海」と言われているのです。

 「難」とは、「苦難」「困難」「災難」「難」です。

人生には、次から次へと、苦難、困難、災難の波がやってきます。

最近も、西日本の災害がニュースになりました。
合計で、300人ほどの方が亡くなられたり、行方不明になられたり。
50人ほどの方が水害で亡くなられた地域もありました。
私も知り合いも、実家の泥だしに1週間ほど帰っていたそうです。

そうかと思えば、日本は地震列島なので、
先日も大阪で震度6の地震があった後に、
広島でも震度4の地震

アメリカで51度というのに比べればマシとはいえ、
毎日、35度、36度の猛暑にさいなまれたかと思えば、
今度は台風に襲われて、毎日雨風。

そんな「災難」に加えて、
仕事の人間関係が大変、家族関係が大変、
近所づきあいが大変、帰省で実家へ帰るとまた気遣いで大変。
「苦難」「困難」が襲います。

「難度の海」を明るく楽しくわたす「大きな船」がある

しかし、そんな苦しみ、悩みの波が次から次へとやってくる海で、
私達は苦しむために生まれてきたのではない、と言われています。

その苦しみ悩みの「難度の海」を、明るく楽しく渡す大きな船が
ある、と言われています。

「難度の海を、私達を乗せて、明るく楽しく渡す大きな船があるのだ」
言われているのが、仏教だという言葉です。