もしかして、クレーマー?
北陸に住み始めて4年目、先日、近所の方からお小言をいただいた。
駐車場が隣接しているのだが、先方の駐車場の上にこちらの雪を落としている、と。
車がこちらの土地の際まで停めてあるので、雪おろしをした際に隣に落ちてしまった。
それがだいぶ経って硬く固まってしまっていた。
しかも、実は今年は大寒波が何回も来ているからこれが初めてでは無いとのこと。
「すぐにこの雪全部すかせ」、と言われる。
(注:「雪かき」のことを「雪すかし」と言う)
迷惑をかけていた自覚がなかっただけに驚いたが、だいぶ怒り心頭気味だ。
次同じことをしたら怒鳴り込むぞ、と言って帰ってゆかれた。
正直、申し訳ないという思いよりも、あまり車の出し入れにも支障ない感じだったし、
そこまで怒られる理由が分からなかったから、最初は単純なクレーマーかと思った。
でもあとからそれは、大事は教訓を与えてくれたと知らされたので今日はそのことについて、シェアしたい。
たとえば、こんな人間関係のジレンマを感じることはないだろうか?
ヤマアラシのジレンマと言われるものがある。
全身針だらけのヤマアラシは離れていると寂しいから近づきあう。
しかし、近づきすぎると互いを鋭い針で傷つけてしまう。
離れては寂しいし、近づいては傷つける。
だから、適度な距離感が難しい。
悩みをうちあけて「そんなのたいしたことないでしょ」と言われてムカついたということはないだろうか。
「あなたにはたいしたことないかもしれないけど、自分にはたいしたことだ」と言い返したくなる。
とはいえ全く人間関係を拒んでは孤独だから、人づきあいは死ぬまで難しい。
これはみな、考え方、見ている世界が違うから。
釈迦の説く「心の孤独」
釈迦は、
独生独死 独去独来
と説かれている。
これは、生まれて来る時も独りならば、死んでゆく時も独り。
来る時も独りならば、去る時も独り、ということ。
だから、徹底した孤独の中を生きているのが私達なのだ、と。
ふつうぼくらは沢山の友達、同僚、家族、友人に囲まれて生きている。
だから、釈迦の説かれるこの「孤独」とは、心のことだが、どういうことだろうか。
たとえば、何でも話せる親友といっても、 話せる範囲で何でも話せるのであって、
どんな親友同士だって、これだけは言っちゃいけない、というものがあるだろう。
たとえ気になっても、「これを言う時は、絶交を覚悟した時だけ」、というものがあろう。
だから、人はみな、いわば誰にも言えない秘密の蔵を持っている、と言えよう。
それは誰にものぞくことができないし、また、とても誰にも見せられない。
みな、各自の「業(行い)」のつくり出した世界に生きている
釈迦は、人はみな、各自の「業界」(仏教では「ごうかい」と読んで、自分の「行い(業)」の作り出した世界のこと)に生きていると説かれる。
その人の生きてきた環境や体験、経験、生まれ持った考え方やものの見方など、顔かたちが違うように、だから同じものを見ても感じ方が違うし、どんな行動をとるか、全く変わってくる。
たとえば、雪を見ても、観光ならば「きれいだ」で済むだろうし、これから駐車場の雪下ろしをして通勤だ、と言う人には、「また雪が降った、もうやめてくれ」となるだろう。
同じものを見ても、人それぞれ全く感じ方が違うし、捉え方が変わる。
それはそれまでの、個人の体験、経験、行動の蓄積が全く違うからそうなるのだ。
「全人類みな兄弟」と言われた親鸞聖人
確かにそれは人それぞれなのだが、実は、ぼくらの心の蔵の中は、本当は底知れぬ悪性だと説かれる。
本当は、それがハッキリ知らされた時、心底本当に幸せになれるし、そうしてこそ、本当の協調性も出てくる。
だから、親鸞聖人は、どんな人にも「御同朋、御同行」と親しまれ、
四海のうちみな兄弟
全人類みな兄弟だ、と言われている。
相手の環境、おかれた文脈を理解しようと努めることが大事
とはいえその前に、まずは「郷に入っては郷に従え」だろう。
生まれが関東で時々しか雪が降らない、降ったとしてもたいして雪の降らない地方に育ったぼくのような人間にとっては、雪なんてすぐに溶けてしまうんだから、少々隣の家に落ちても問題なかろう、くらいに思っていた。
しかし北陸では、ひとたび寒波がくれば大雪で、通路を確保するために一角に固めた雪は、下手すれば春まで残り続ける。
そんなものを隣の家に落とすということは、「あなたの家の土地は少々余裕があるから、しばらく春まで雪を置いておいたって大丈夫でしょ」と言うようなものだから、確かにこれは立場を変えればムカつくに十分だ、と気づいた。
ではなぜそのことに気づかないでいたのか?
もちろん自分の無神経さゆえだし未熟だと言われれば仕方が無いが、育った環境が全く違うから、ということもあるのではないかと思った。
相手の気持ちは、相手の環境、おかれた文脈を理解しようと努めなければ分からない。
北陸の方々は、決して人さまの土地へ、自分の家に降った雪を落として不快な気分にさせぬよう常に気を張っておられるのだろう。
きっとこれが、「北陸・雪ルール」に違いない。
みんな、互いに塀一枚隔てた隣の家を気遣いあいながら、一生懸命生きておられるということだと思った。
そういう意味で、勉強になった出来事。
もちろん先方へは、雪をすかしたあと、あらためてご挨拶とお詫びに伺ってきました。