あの時死ななくて、本当によかった!
おとといの夜は家での勉強会。
アットホームな雰囲気で寒い冬の一時、来られた方々と熱く語り合いました。
ちなみに、しばらく前の自宅での法話に関する記事はこちら:
長年の夢が叶い、自宅を法話会場に。
笑顔がとっても人なつっこいのに、
過去の苦しみを打ち明けてくれた彼のまっすぐな眼には光るものが・・・
聞くも涙、語るも涙。
あの時死ななくて、本当によかった!
本当に、これまで頑張って生きてきたんだね!
もう、大丈夫だから・・・
そんな言葉がピッタリの身の上話を打ち明けてくれた彼が、
腕をふるって料理を作ってくれました。
画像では温度感といいにおいを伝えできないのが残念です・・・
お近くの方は是非また、いらして下さいね^^
人間に生まれることはどれほど難しいのか?
「こんなに苦しいのならば、生まれなければよかった」
「いっそのこと、早く死んでしまいたい」
「どうしたら、ラクに死ねるか。そればかり考えている」
そんな声はいろいろなところから聞こえて来るが、或る時弟子の阿難に対して、
釈迦が説いたこんなエピソードを思い出す・・・
ある時釈迦が、弟子の阿難に尋ねる。
「そなたは人間に生まれたことをどれくらい喜んでいるか」
「大変に喜んでおります」と、釈迦に答えた阿難に対して、
釈迦はこう答えられた。
「果てしなく広がる海の底に、1匹の目の見えない亀がいる。
その亀が100年に一度回目に顔を出すのだ。
海の上には、1本の丸太ん棒が浮いている。
丸太ん棒の真ん中には小さな穴がある。
その丸太ん棒は、風のまにまに波のまにまい
西へ東へ、南へ北へと漂っているのだ。
阿難よ、100年に一度浮かび上がるこの亀が、
ひょっとこの丸太に頭を入れることがあると思うか?」
「それはそれは、お釈迦様とても考えられません」と
答える阿難に対して、
「絶対にないと言い切れるか」と
お釈迦さまは念を押される。
「それは・・・絶対にないとは言えませんが、
何億年何兆年の間にも、あるかないかのことでしょう」
それを受けてお釈迦さまは、
「阿難よ、実は我々が人間に生まれることは、
この亀が丸太ん棒の穴に頭を入れることがあるよりも
難しいことなんだ、有り難いことなだ」と説かれた、と伝えられれる。
「有り難い」とは「有ることが難しい」ことで、めったにないということ。
確かに、生物の個体数からいっても、マンボウの卵は3億個、さらには、
アリやらハエやらの虫などを考えても、地球上だけ見たって、70億といえどもまだまだ少数派だとうかがえる。
しかし、こんなにあり得ないことが起きたのに、
正直、あなたは人間に生まれたことを喜べるだだろうか?
「人間に生まれて本当によかった」と喜べる時が、あなたにも必ずある。
だから、釈迦はあなたも、生きているときに本当の幸福になれる、
人身受けがたし、今すでに受く。
仏法聞きがたし、今すでに聞く。
と説いた。
生まれ難い人間に生まれられて、本当によかった!
仏法聞けばそんな幸せになれるのだから、仏法を聞けて本当によかった!
あなたにも、私にもそんなふうに、仏法を聞けば
流した涙の一滴一滴が真珠の珠となってその手にかえってくる・・・
そんな時が、必ずある。
これから、自宅では月1回の法話と、
土曜日の夜の勉強会は定番で行ってゆきます^^
ブログでのその様子を少しずつお伝えしてゆきますね!