証明できないことは信じられない、という人があります。 これだけ科学が発達した今日、 科学によって証明されていないことを信じて生きるのは、 危なっかしいと思ってのことでしょう。 しかし、少し考えて見れば、私たちは証明できないことを 信じて生きていることがわかります。 車の構造を知らない人でも、 アクセルを踏めば車が動き出し、 ブレーキを踏めば車が止まると信じています。 自動車がどのようにして走るのか、 ブレーキの構造はどのようになっているのか、 熟知しているならまだしも、 自分が証明したならまだしも、 ここを踏めば車が動くんだよ、止まるんだよ、と 言っているのを信じているにすぎません。 科学で証明されているから、大丈夫なんだと言う人は、 つきつめれば、「科学で証明されたことなんだ」と言っている人の 言葉を信じているにすぎません。 それが誤りであったと、後に証明されない、という 保証はありません。 意外に私達は、証明できないことを、信じて生きているのです。 いや、そうしなければ、生きられないのが、 私達と言えましょう。 明日も生きておれると信じているから、 明日の計画を建てますし、仕事に備えて夜も休みます。 では、明日も生きておれる、明日も会社に自分のデスクがあると、 誰が証明してくれるでしょうか。 その思いが正しければ、誰も、明日死ぬ人はないでしょうし、 突然のリストラで苦しむ人もないでしょう。 「科学で証明されたから正しい。証明されていないことは信じられない」との、 ”自分が正しい”の自信ほど危ないと、私達に警告を促されたのが、 お釈迦様でした。
あなたのつらい心が、ふっとラクになるお釈迦様の智恵。
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