水道の蛇口から水が出ること1つとっても、決して当たり前でない。
ここ数週間の大寒波。
自分の住んでいるところは、というと、数日間、
風呂、台所、洗面所、洗濯場、すべて水道が止まり、
シンクの排水管も凍ったのか麻痺してしまった。
画像の雪はだいぶ溶けているが、一番雪のひどい時期から数日経ったもの。
しかしこのあとも雪はしばらく容赦なく続く・・・
最高気温がマイナスになりそうなことは、
天気予報でわかるのだから、
一晩チョロチョロ水を出しておけよ、という声が聞こえて来そうだが、
まあ、大丈夫だろうと思っていたが、予想以上だった・・・!
北陸の寒波、恐るべし。
みなさんも、気をつけてくださいね(笑)
こんな時、思えば、水道が出るというのも、
決して当たり前でないんだなと思い知らされる。
井戸の水を飲む時は、井戸を掘った人の苦労を思え。
たとえどれだけ貯水池に水がたまっていても、
配管してくれた工事関係者の方々の苦労がなければ、
たとえ蛇口の水をひねっても水が出ない。
だから、「飲水思源」と言われる。
井戸の水を飲む時は、井戸を掘った人の苦労を思え、と。
井戸から豊富に水が湧いて出る時は、当たり前のようにして飲み、
井戸から水の出が悪くなると不足をならしたり、あたりに怒りちらす。
それではダメだ、という教訓なのだろう。
井戸の水が出ない時こそ、感謝せねばならない。
井戸の水が出るのは当たり前でない、という事実に、
気づかせてもらったのだから。
感謝を忘れて、あたり前のように水を飲む人間は不幸と、
仏教で言われる。
しかも富山県の黒部ダムなど、
工事関係者で殉死された方々はたくさんあったと、聞く。
そう思うと、蛇口をひねって水が出ると言うこと自体、
本当に感謝せねばならないことだと知らされる。
「恩」を強く知る人ほど素晴らしい、と説く釈迦
ちなみに、釈迦は「恩」ということを、詳しく説かれている。
「恩」とは、原因を知る心。
この心強いほど幸せになれるということだ。
世間で人間の値打ちを知る目安は、
人それぞれにいろいろ考えるだろうが、
仏教では、この「恩」を深く受け止める人間ほど、
素晴らしいと言われる。
○知恩
○感恩
○報恩
まず恩を知り、感じ、そして報いようと努力すること。
その心強い人ほどすばらしいと仏教で言われる。
とはいえ、なかなか「恩」を感じることは難しい。
「恩」といえば、とりわけ釈迦は「親の恩」をつぶさに説かれている。
「親の恩」が大事ということはわかる。
しかし、どうしてもそれを感じることができない・・・
という方は多いと思う。
なぜ私は、ここにいて、今生きているのか?
生きねばならないのか?
生まれてこなければよかった、という人に、
「恩」を感じる心が出てくるか?
本当の幸せに生かされた時、生まれて育てられた「恩」を思い知る。
釈迦は、「唯我独尊」
われわれ人間だけが果たすことのできる、
尊い使命がある、それは本当の幸福になることだと言われる。
そんな幸せになった時に、人間に生まれ、
生かさせてもらった恩を感じることができるのだ。
人身受けがたし、今すでに受く。
人間に生まれてよかった、と
ひとえに両親の恩を感じることができるのも、この時だ。
同時に、深く知らされる如来と師主知識の恩を親鸞聖人は感佩される。
家が浄土真宗の方ならば、よく口ずさむ人もあるから
「恩徳讃」はご存知かもしれない。
如来大悲の恩徳は 身を粉にしても報ずべし
師主知識の恩徳は 骨をくだきても謝すべし
紙衣の90年の布教の原点は、ここにあった。
寒さに凍えて、水の出ない水道にため息つきながらも、
そんなことを思わずにおれない、数日間の断水だった。
ちなみにおかげさまで、最高気温がマイナスだった時期は終り、
昨日あたりから、ようやく少しずつ水が流れ、
無事、風呂には入れるようになりました。合掌