「名利の大山に迷惑して」との告白は、どんなことか?

驚くべき古代中国の皇帝の暴挙

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お世話になっている方から、お子さんの勉強を見てほしい、という依頼を受け、
しばらく、一緒に勉強してきました。

科目は、何と「古文」
何を隠そう、これぞぼくが高校時代最も苦手とした科目(汗)
さて、どうなることやら・・・・

いやあ、「古典だけに、コテンコテンですわ」などとも言っておれず・・・
とりあえず、宿題の文章を一緒に取り組むことに。

宿題の問題文の大意はこうだ。

昔の中国、春秋戦国時代、ある国の皇帝が、大変美しい后を迎えた。
そうすると、その皇帝は昼間から后と戯れ、
政治をほったらかすようになった。
さらに朝廷の家臣たちは、一緒になって明るいうちから戯れる。
その中、「これでよいのか」と義憤を覚えた忠臣が、
何とか皇帝を諫めるべきと、他の家臣たちを叱る。
ところが彼らがその苦情を皇帝に告げると、忠臣から身の不徳を諫められることを嫌がり、即座にその忠臣を殺させてしまった。 

 う~ん。
何という話だ。
話自体もびっくりだが、高校の教科書に、こんなの載ってていいの?
ていう感じ。(汗)

その子も、呆気にとられて、
「漢文って、こんなばっかなん??」

「違うよ。もっと違ういい話ももたくさんあるから大丈夫(汗)」、と
答えておきました。

聖人が自己を「名利の大山」告白されたのはどんなことか

さて、この文章が高校の教科書に適切かどうかは置いておくとして、
親鸞聖人は自身の心のありさまを、

名利の大山(みょうりのたいせん)に迷惑して

 と、告白されている。

ある中国の国の天子が揚子江のほとりに城を構えていた。
宰相に、揚子江を下る船は何艘ほどかと尋ねると、宰相は、
「二艘でございます」と答える。
「馬鹿を申せ。二艘でないことくらい、朕の目にも明かだ」
皇帝を諫めて宰相、「はい、それは名利の二艘でございます。
名誉を求めて川を下る船か、利益を求めて川を下る船しかありません」
聞いた皇帝は、うなって納得したと言う。 

確かにぼくらを動かす動機は主に、名誉か利益しかないだろう。
この「名誉欲」「利益欲」「名利」と言われている。
その心は「大きな山」ほどあるとの告白だ。

毎日通勤で国道を通るが。たくさんの車が通行しているが、
「名利の2台」ということになろうし、
東京に住んでいた時は、たくさんの人が電車を利用していた。
だがそれは、「名利の2人」ということになろう。

人をも殺させる「名利」の怖さ

その「名利」に目がくらむと、時として人をも殺す。
それが、冒頭のエピソードだ。

ぼくらは気にくわない人があっても、
「お前、死ね」などと言うだけでも大変なことになるのだが、
権力者であれば、気に食わぬ者は即座に抹消できる。

それが人間の本性だからであろう。
それがゆえにまた、権力者は非業の最期を遂げることも多い。

静かに振り返ってみれば、
まさに、名利に「迷惑」している姿が知らされる。

そんな私が、どうしたら、本当に幸せになれるのか?
釈迦一代の教えの一切は、そこに集中された。

そんなことを思いつつ、一緒に勉強していました。

ちなみに、苦手だったとはいえ、
少しは役に立ったようで、来週までの宿題は無事終えて、帰って来た。
よかったよかった。合掌