この年末あなたにとって、除夜の鐘をつくより大事なこと。

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除夜の鐘に今年の煩い悩みを流したいあなたへ

いよいよ年末になった。
大晦日といえば、やっぱりNHKの「行く年来る年」だろう(笑)

というか、今あの番組をやっているのかどうか?

ここ何年も大晦日にテレビを見ていないから分からないが、
小さい頃、紅白歌合戦が23:45に終わって、
ぱっと雪の永平寺なんかが写るのを見るのが好きだった。

そんな時にはたいてい除夜の鐘を打っている。
そんな風景と、近くの寺から聞こえているリアルな除夜の鐘の音を
こたつにあたりながら聞くのが小さい頃の年越しだった。

除夜の鐘は108つくが、それは、お釈迦さまの教えられた煩悩の数から来ている。

お釈迦様の教えられた煩悩(ぼんのう)は、
ぼくらを煩わせ、悩ませるもの、と書く。
これが108あるから、108の煩悩と説かれる。

除夜の鐘を108つくのは、
ぼくらが苦しんだり、ひどい目にあったりするのは、
この煩悩によって煩わされて、悩まされてのこと。
だから、来年こそ、そんなふうなことのない、
安らかな年になってほしい、という願いを込めてのことなのだろう。

しかし、お釈迦さまは、煩悩は死ぬまでなくならない。
減り、もしないから、煩悩具足(煩悩のかたまり)と説かれる。

だから本当は、鐘をついたくらいで
実際どうにかなる問題ではないのだが。

お釈迦が教えられた煩悩の代表選手

さて、煩悩の数が108と聞くとえらいたくさんだと思われるだろうが、
お釈迦さまは、中でもぼくらを特に煩わせるものに3つあると教えられた。

それが次の3つだ。

●欲の心
●怒りの心
●ねたみ、そねみの嫉妬心

これらを三毒という。

毒とは、たとえば怒りならば、ムカついた人の回りに毒が回るのではくて、
ムカついている人自身に毒が回ることにたとえて、
この心で煩わされ、ぼくらはとても苦しむから、お釈迦さまは三毒と言われた。
この3つは面白い関係にある。
これを理解しておくだけで、ぼくらの心はスッとラクになることが多い。

欲とは

は、食欲とか、財欲、いわゆる性欲(男女の欲)や名誉欲睡眠欲とかだ。
これがないと生きてゆけない。
食欲がなければ食べたくないし、睡眠欲がなければ睡くならないから、
夜も眠らないので死んでしまう。
名誉欲(褒められたい、認められたい)やいわゆる男女間でお互いを求め合う欲望も
一切なければ、他人からどんなふうに見えてもへっちゃらな
非常識人間になってしまうだろう。
だから、これらがないと生きて行けないのは当然だ。

しかし、その本質は、満たされなければ渇き、
満たしてなお、二倍の度を増して渇くことだ。

丁度海水を飲むと、喉の渇きが癒やされたかに思うのはまことに一瞬で、
すぐに高濃度の塩分によって、さらに深刻な喉の渇きを覚えるようなもの。
だから、飲まないと渇いているが、飲めばもっと渇く、ということ。
欲も同じだ。

怒りとは

そして、たいていぼくらの欲望は満たされないから、すぐに怒りになる。
怒りは恐ろしい。
カッとなって、一瞬で立場を追われる言葉や言動を残してしまう。

上司の指示がどんなに無謀だからといって、そこでキレたら大変だ。

怒りは、無謀に始まり後悔に終わる、である。
明日から来なくて良い、ということにもなりかねないだろう。

ねたみ、そねみとは

だから、ほとんどの場合は、うらみ、ねたみの嫉妬心になる。
それが赤提灯での上司や会社の悪口、
さらには、裏工作でうまく利益を誘導したりする。

この年末あなたにとって、除夜の鐘をつくより大事なこと

振り返ってみると、

欲→→満たされなくて怒り→→ストレートに出せなくてねたみ、そねみ

このの3つの段階のどこかに、ぼくらの煩い、悩みはある。

会いたいと思い焦がれて仕事が手に着かなければ欲だし、
フラれてショックのあまりキレたが怒りだ。
畜生と、ムカついてストーカーで日夜つけまわせば、怨み嫉みの心で身を焼く姿だ。

しかも恐ろしいことに、その時ぼくらは盲目になっている。

だから常に、一歩下がって冷静に自分を見れる心の安定を持ちたい。

一呼吸置いて、今自分はどの煩悩で煩わされているのだ?と思うだけで、
ふっと心が軽くなる。

それと最後にもう1つ。

どうしたらそんな煩悩燃えさかるぼくらが、
本当の幸福になれるのか?
実は、お釈迦さま45年間の教えはそこに集中されていたことを最後に言っておきたい。