常に大衆に寄りそい、自在の衆生済度をあらわす仏の「慈悲」のはたらき

仏の「慈悲」のはたらきとは

先日、法話に伺った時に、
「観音菩薩」という名前の由来について尋ねられ、
話をする機会がありました。

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ちなみに、仏前に供えられる花は仏の「慈悲」を顕し、
灯り(灯明)は「智恵」を顕す、といわれる。

「観音」「勢至」といえば、有名な菩薩の名前ですが、
仏の慈悲と智恵の象徴として知られる方々です。

「勢至菩薩」は、仏の智恵を顕すお方。
ちなみに、先日「智恵」についてはブログに書きましたので、
よろしければご参照ください。

「智恵」は、あなたの未来にくらい闇を破り、本当の安心をあたえる。 - 生きてゆくときに 一番大切なことを お釈迦さまから学んだ。

「観音菩薩」が、仏の「慈悲」を顕すお方ですが、
親鸞聖人は、仏の「慈悲」のはたらきを、

煩悩の林に遊びて、神通を現ず

と言われている。

これは、大衆の中に入って、自在の衆生済度をするはたらきだ、ということ。

ここで「煩悩の林」、とは大衆のこと。
人はみな「煩悩」のかたまりだから、その「林」とはなるほど、と思う表現だ。

ちなみに、煩悩について以前に書いたので、こちらをご参照ください。

この年末あなたにとって、除夜の鐘をつくより大事なこと。 - 生きてゆくときに 一番大切なことを お釈迦さまから学んだ。

「ならぬ堪忍、するが堪忍」せねばならない「堪忍土」がこの世

ぼくらが生きている世界を「娑婆」、といわれる。

「シャバの空気はうまいな~」という、あの「娑婆」だが、
別にどこかの外だろうが中だろうが、関係ない。

「娑婆」とは、もともとサンスクリット語由来の言葉で、
昔の中国の言葉では、「堪忍土」と言われる。

「堪忍しないと生きてゆけない世界」、ということだ。

ついついカッとなることが多い。
だから、堪忍しないと、この世は生きて行けない。

今朝も、スーパーの駐車場を出る時、急いでいるのに出口が渋滞。
しかも、ムリして右から割り込んだ車が変な位置で止まって、
しばらく動かないから、思わず、イラッとしてしまった。

仏教の話をしているのに、ムカついたり、落ち込んだりすることが
あるのか?と先日、尋ねられたのだが、そのとおり(汗)!

お恥ずかしながら、ちょっと何かあれば、すぐ怒りの心もおきてしまうし、
1日中へこんでいることだってある。

でも、誰かに話をするときには、そんなことを顔に出していたらダメだから、
そんなふうに思っていないフリをするだけ。

テレビのアナウンサーが、1日もへこまないだなんて考えられないが、
毎日のニュース番組で、視聴者の見せては務まらないから、
セルフコントロールは、本当に大変だろうなと思う。

なかなかそこまでできないが、張らないといけないと思う。

「娑婆」にいるぼくらを幸せへと導く仏の「慈悲」のはたらき

ところが正直なところ、きっと心には持ったままだから、
洩れているだろうな、と思う。

そんなことを思うと、煩悩は「有漏」とも言われることを思い出す。
欲や怒り、ねたみ、そねみの嫌らしいものが、いろいろ心から洩れるようだから、
そう言われるのだろう。

そんなぼくらだから、毎日、衝突したり、こわれたり、へこんだり・・・

「ならぬ堪忍するが堪忍」といわれるが、そのとおりだ。

明治の文豪・夏目漱石の草枕、

智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。
意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。

 の言葉も大人になるとしみじみと沁みる。

そんな「煩悩」の林で煩わされて日々、一生懸命生きているぼくらを幸せへと導き、自在な済度をする仏の慈悲のはたらきを、「神通を現ず」と言われている。

「遊ぶ」といわれているのは、仏さまにとって衆生済度は喜びであり、楽しみだから
なのであろう。

108の煩悩一切かわらぬままで、心はガラリと大変わり、

有漏の穢身はかわらねど 心は浄土にあそぶなり

 すべてをそんな幸せへと導くのが仏の慈悲のはたらきだ。

苦しむ人の声を、じっと聞いて寄り添う「観音」のすがた

「観音」「観」とは、観察、観光の「観」だから、「みる」ということ。
「音」とは、衆生、すべての人びとの苦しみの声だ。

すべての人の苦しみの声を「見る」とは、「聞く」ということ。

すべての人の苦しみの声を聞き、寄り添い、
衆生済度に活躍する働きが、仏の「慈悲」なのだ。

そんな仏のようなはたらきは、もちろんぼくらにはできないが、
せめて相手の気持ちに寄り添って話をよく聞くくらいはできる。

自分なんて、やっぱりダメなのかな、
そんなふうに、しょげてしまった時。

そんな時、誰かに自分の悩みを聞いてもらえること。
こんなに、ほっとして心落ち着くことはない。

悩みを相談しても、聞いてもらえなかったり、
逆に、お前が悪いと言われてみたり・・・などは、本当に辛いもの。

聞き上手は、話上手」と言われる。口は1つだが、耳は2つ。
だから、しゃべる2倍、聞かなきゃだめなんだ、ということだと聞いたことがある。

聞く時は、真剣に聞く。
相手の方の苦しみを、じっと感じながら聞く。

そうすることで、相手の方はとても楽になられる。

苦しみ悩む人々の中へと自ら入って行かれ、
その声をよく聞き、全身でその苦しみを受け止める。
そんな姿が、「観音」という言葉に込められたすがたなのだろうと感じる。

せめて誰かの苦しみに寄り添って、ともに悩んで喜んで
光りに向かえる人でありたいと思った一コマ。合掌