21世紀に残したい言葉。

お釈迦様は、一切経の中にたくさんの善を教えられ、
それを6つにまとめられた、六度万行について続けています。

その筆頭、最初にあげられているのが、「布施」です。
中でも、もし私達がお金も物も何もないとしても、
すぐに誰でも実行できる無財の七施について続けております。

昨日は、最初の3つをご紹介しました。

4つ目は、「身施」です。
これは、肉体を使って人のため、社会のために働くことであり、
いわゆる無料奉仕です。

重い荷物を持って運んでいる人がいたら、持たせてもらう。
職場に早く到着して部屋の掃除をしてみる。
ゴミを出したり、コピーをとったりといった誰でもできるような
小さな仕事を率先して、やってみる。

私達の周りで、工夫しだいでどれだけでもこの身施をすることが
できます。

辛い重い荷物を持って歩いていた時、
「持ちましょうか」の一言でどれだけ救われるか。
受けた恩を忘れないようにしたいものです。
そして、自分も実践してゆきたいと思います。

次の「心施」は、「身施」と読み方は同じですが、
心から感謝の言葉を述べることを言います。

もうかなり前のことになりますが、21世紀に残したい言葉として、
取られたアンケートの筆頭にあげられたのが
「ありがとう」でした。

「有難う」という言葉は、何度言われても悪い気がいたしません。

ついつい「どうも」「サンキュー」などと使って
みたりしますが「有難う」という言葉を
積極的に使いたいものです。

相手を褒めるということはそれなりに、難しいですし、
相手をねぎらうということも、なかなか難しいです。

でも、相手にお礼を言うことは、どれだけでもできます。

そしてそれは、形だけの言葉ではなく、
「心」という字が使われているように、
「心からの感謝の気持ち」を述べるのです。

ロシアの文豪ツルゲーネフが、
ある夜、乞食が訪ねてきたのですが、
何も与えるものがなかったため、
その乞食の手をぎゅっと握りしめ、
「兄弟!」と涙ぐんだと言います。

後に、乞食はそれを述懐し、
「あれほど嬉しかったことはない」と
語ったといいます。

心のこもっった言葉は、相手の心にすっと、深く入り、
生涯忘れ去られることはないでしょう。

次の「床座施」は場所や席をゆずり合う親切を言います。

電車やバスなどの交通機関で席を譲ることもそうですが、
立場や地位を譲ることも含まれます。

「オレがオレがの“が(我)”を捨てて
 おかげおかげの“げ(下)”で暮らす」と言われます。

「他人にゆずる気持ちを持つようにしよう」

相手への感謝の気持ち、譲る気持ちを持ち続けたいものです。


最後の「房舎施」は求める人、訪ねて来る人があれば一宿一飯の施しを与え、
その労をねらう親切を言われます。

このように、お釈迦様は、私達に
何がなくても、その心さえあればできるたねまきを、
7つ教えておられます。

無財の七施をさらに縮刷すれば「和願愛語」となりましょう。

「和顔」とは和やかな顔、笑顔のこと。
「愛語」とは優しい言葉です。

もし私達が何も相手に与えられるものが無かったとしても、
顔の無い人はありません。
口のない人も無いでしょう。
ですから、誰でも心がけ1つで実行できるのが、
この和願愛語の布施行であると教えられたのです。

これらは、すぐに私達に幸せをもたらすたねまきだから
やりなさい、とお釈迦様は勧めておられるます。


あなたのつらい心が、ふっとラクになるお釈迦様の智恵。
http://atsushi-sasaki.com/book/applly_a.html


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